2016-03-07 第190回国会 参議院 予算委員会 第10号
私は本当に子供でしたので、父がおまえたち朝御飯食べて幸せだと言う意味が分からなかったんですが、もう大人になって話を聞きますと、台湾からの引揚げ船の中で途中で食料がなくなり、数日間食事ができなかったと、本当に死ぬんじゃないかと思ったということを初めて聞かせてもらったときに、ああ、だから小さい頃から朝飯食えて幸せだと言ってくれていたんだなと分かりました。
私は本当に子供でしたので、父がおまえたち朝御飯食べて幸せだと言う意味が分からなかったんですが、もう大人になって話を聞きますと、台湾からの引揚げ船の中で途中で食料がなくなり、数日間食事ができなかったと、本当に死ぬんじゃないかと思ったということを初めて聞かせてもらったときに、ああ、だから小さい頃から朝飯食えて幸せだと言ってくれていたんだなと分かりました。
これは、雪降る舞鶴港にシベリアからの最後の引揚げ船であります興安丸が入港したのが一九五六年十二月二十六日と、まさしく半世紀、五十年がたつわけであります。私も一昨年の秋、この舞鶴港にあります引揚記念館の見学に行ってまいりました。
それから、昭和二十年の八月十六日以降、昭和二十三年十月の最後の引揚げ船で日本に引き揚げておいでになった方々の中で島で生まれた方三百七名、うち死亡者の方々が六十八名、ここで新たに資格者となる方々は二百三十九名。合計三百七十七名ということでございます。
戦後六十一年がたち、また、今月は、一九五六年の日ソ共同宣言によって最後のシベリアからの引揚げ船が舞鶴に入港してからちょうど五十年目に当たります。
○池口修次君 船籍を確定する作業ということは私は急ぐべきだというふうに思いまして、事前にいろいろお聞きをしましたら、今日引き揚げたと、どういう状態だというふうに聞きましたら、引揚げ船のプールみたいなところに取りあえず収納をして鹿児島まで運ぶんですかね。
根本的にどうしたらいいかということにつきましては、今の宗谷丸のお話のようなのは、今日只今、本当の応急策でございますが、差当り、先だつてもここで申しましたように、貨物船二隻の新造を計画いたしておりまして、それらを合わせまして、引揚げ船のほうも急いで修理をやりまして、来年の秋にはできるだけ輸送力を回復するということに努力いたしたいと考えておるのでございます。
山西には一万人の日本軍人と一般人がいるが、引揚げ船の関係で、五年先か何年先になるか不明である。ゆえに帰国を断念しなければならぬと宣伝工作が行われた。 帰国の機会があつても掃えれなかつた理由と事実、1、塁兵団一四七五部隊長布川直平大尉の言、「お前が帰ると頑張るなら俺にも考えがある、お前のような奴は日本軍人の面よごしだ」と脅迫し、帰国名簿より削られた。
その当時は国民政府側との関係が問題となりまして、邦人引揚げ船が内地から中国に行きます際にはどんなものも乗せて行かない、何も乗せて行かないという約束で国民政府側の了解をつけておりましたので、その船に中国人の遺骨を乗せて行くということは、その国民政府との約束に反するということで、了解がとれないような状態が起きて参りまして、甚だごたごたしたのでありますが、結局別の船を仕立てまして二回に亘りまして内地にあります
○説明員(中川融君) 遺骨を中国に送り還すということ自体について、勿論政府といたしまして異存はないわけでございますが、それにはいろいろの支障が出て来る場合があるわけでありまして、引揚げ船の行路を使うということになりますと、引揚げ船自体の何と申しますか、航路安全度ということの保障を取りつける際に支障が出るということもありますので、前回では、先ほど経違でちよつと申しましたが、別の船を仕立てて還すということになつております
そこで、われわれは、外務委員会において、しからば、なぜ政府は本貸借協定にその使用目的を明示しなかつたか質問したのでありますが、岡崎外務大臣は、これに対して、この船舶はいろいろの用途使う、中共からの邦人引揚げ船の援護にも使用いたしますと答えられたのであります。これはまことに驚くべき答弁と言わなければなりません。
またかつて昭和二十四年秋の引揚げでは、米ソ協定によるソビエトからの引揚げ船の中に、完全に中国共産党地区の人々——ソビエトの発表によれば、現地において解放したといわれておる部類の中に入るとだれもが見られる人たちが、入つて来ておる。
一方引揚者は、引揚げ船中または上陸後における集団的行動等により、不利な先入感を與えるような偏向が見受けられ、この結果求人者の中には、引揚者の雇用をできるだけ差控えている向きもありましたので、このような求人者に対しては、公共職業安定所で就職させた実例等を話し、十分納得に努めた結果、七二%の就職を收め、就職後にも補導を実施しているので、その懇切な指導に対しては感謝された事例がたくさんあるとのことでありまして
御承知のように引揚げ船等も十分用意されておりますし、また引揚げ船が来ないから帰りたくても帰さないということは、これはデマであることは、日本国内においては、みんなもう常識化しております。だれだつて船か余り過ぎておるということはわかつていらつしやるはずであります。それから、ことに引揚げ船用としてむなしく待機しておる船は、たくさんある次第であります。
大体二千七百五十名から、二千八百名の人が本年の引揚げ船に乗つておつたのでありますが、そのうち千八百五十名の帰国希望者が帰国名簿に編成されたのであります。併しこれは二月、三月の調査でありますので、その後の変動があるという意味から、ソヴイエト司令部によつて約十日間に亘りまして、面会所を設け日本人の希望を聞くということにいたしまして、名簿修正に対するいろいろの意見を受理したようであります。
これらの人たちは関係機関の配慮によつて、一應北海道及び東北六縣に受入れられて、とにもかくにもそのところを得ているわけではありまするが、しかし引揚げ者の状況、たとえば各引揚げ船ごとに順次無縁故が上昇しておるわけであります。ことに今年のソ連の発表によりまして引揚げが開始されることになりますと、これまた相当無縁故者の数がふえて、おそらく北海道だけでも無縁故者が十四、五万人には達するだろう。
鐵道關係の政府當局は皆その方に行つておられるということでありますが、幸い海運總局長官がおいでになつておるから、先ず「日本國沿岸に置き去られた船舶の措置に關する法律案」について現在引揚げ船の状態がどういうことになつておるか、長官から御説明を願つて質疑に移りたいと思います。